Veena Room Word

Veena Roomの考えていること①

全ては必要な存在

もしも、何か一欠けらでも欠けてしまえば、この宇宙は崩壊します。

何一つとして、不必要なものはなく、逆を言えば、全てが必要なもの。

人ひとりひとりも、誰一人として必要じゃない人はいない。

この宇宙というのは、完全です。

人も、物も、目に見えない粒子も、空間も、全てが必要な宇宙の構成。

小さな小石であってもです。

古来のアニミズムでは、それがわかっていたから、全てに感謝が出来たのしょう。

日本人ならば、すんなり理解できるはずです。

とはいえ、それを見失いがちな人もいるでしょう。

宇宙からすれば、その存在意義に優劣も大小もない。

もし、「自分なんか・・」と悩む人がいるならば、それは誤認知です。

自分の存在意義を、人は「外」に求めがちです。

それが行き過ぎると、その「承認欲求」を肩書や、持ち物・物質の多さ、名声などで果てしなく追い求める。または「自己否定」という自分の存在価値を見失うことも。

しかし、どこまでもそれを求めても満たされないのは、探す場所を間違えているのでしょう。

その存在意義は、「外」ではなく「内」にある。

ヴェーダでは、その実在を「サット」と言います。

「内を観よ」そこに本当の自分が居ます。

真我という宇宙そのものを、サンスクリット語では「ブラフマン」と言い、それぞれの魂を「アートマン」と言います。

例えるならば、ブラフマンは海で、アートマンは海の水の一滴。

ブラフマンという海は、自分という全体像の詳細を「観たい」のです。

宇宙の真我の本質を「プルシャ」と言います。日本語であらわすならば「観る者」

それが私たちの実体であり実在です。

「自分を知りたい」「本当の自分で生きたい」「自分を認めたい」と思う人の切望は

ここから来ているのでしょう。

自分の持つ本来の力や愛

もし、自分の存在意義を内に見出せたならば、次には自分の叡智、力、愛を知りたいと思うかもしれません。

そしてまた、それを外に探したならば「承認欲求」や「自己否定」になってしまいます。

ヴェーダでは、「観る者」としての本当の自分の、叡智や能力を「チット」といい、至高なる愛を「アーナンダ」と言います。

本来持っている、能力や愛すらも、外にそれを認めさせようと求めても、果てしない枯渇感で終わるのは、やはり探す場所を間違えているのです。

それは「内を観よ」。既にあるのです。

日本の神道でも、参拝の先には「鏡」が置いてあります。

神を観ようとするとき、そこに映し出されるのは「自分」です。

クリアな水に、自分を映し出せば、本当の自分が見える。

濁った水だと、映らない。

本当の自分を観ようとするならば、自分の心の眼をクリアに整えることも必要です。

内を観よ

もう少し、この「観る者」という真我である宇宙の本質を理解することが出来ます。

それはサンスクリット語でいう「サットヴァ」という、調和・純粋性です。

それは、陰も陽も含み、ハイブリッドされた、クリアで純粋な光。

宇宙そのものには、外も内もなく、無限大であり無限小。

私たちは、この地に生を授けられた時点で、その「調和」という本質を持ちながらも、

陰陽という太極というシステムの中に入ります。

本質の「調和」は、中心軸です。

その自分の中心軸は、別の言い方をすれば「黄金軸」という、宇宙そのものの本質。

生き方に「調和」を見出せば、見出すほど、自分の「黄金軸」の光も増すでしょう。

それは同時に、私たちを活かす「氣」と言う状態にも現れます。

元氣・元光・元音

宇宙は、「元氣・元光・元音」が本質とも言えます。

サンスクリット語でプラーナという、その「氣」は

ヨーガや氣功の世界でいう、私たちを活かす生命エネルギー。

宇宙そのものの「氣」を「元氣」と言います。

「元気いっぱい」「元気がみなぎる」とは、そのエネルギーがしっかり、自分の中に満たされている状態です。

逆に「元気がない」とは、そのエネルギーが不足したり、氣の流れに停滞を起こっている状態です。

また、全ては量子的に見れば、振動している。その振動には「音」があります。

そして、それは光を持ちます。

エネルギーや、光や、音という、その波動を、宇宙の本質に整えることが出来ます。

天人合一・天地人

そして、この地球に生まれたからには

「天人合一」という、宇宙の本質そのもので生きることと同時に

「天地人」という生き方

つまり、この地でどのように生きるのか?ということになります。

この地は、豊かさや美しさをクリエイトも出来る

人や自然との繋がりで、それらを共生することが出来る。

自分は、この世界に「何をギブ出来るのか?」

サンスクリット語でいう「ダルマ」という、天命は

一人のダルマ・・グループのダルマ・・日本のダルマ・・地球のダルマ・・

そして、宇宙のダルマに最終的にはリンクしている。

Being/Doing

自分が天地人という縦軸、空間や時間という横軸、そして全てとの繋がりという

自分の在り方を、宇宙の本質である「調和」「愛」「元気・元音・元光」に整えておくことが出来たならば

その在り方で、「生きること」です。

Beingであり、Doingです。

もし、ただそう「在るだけ」でいいならば、宇宙そのものの「ブラフマン」のままでよかったわけです。

でも、なぜわざわざ、魂という分け御魂「アートマン」となって、この地にいるのか?ということです。

私たちは、自分を知るだけでは、納得できないでしょう。

それを具現化したい場所に、来ているわけです。

自分のその在り方を「体現」したいわけです。

その、調和や愛を体現したいだろうし

自分の存在や力を、使いたいのです。

人は、誰かの為や何かの為に、それを使えることに「生きる希望」を見出すでしょう。

もし、「生きる希望」を見失っている子供がいるならば、本来は大人がそれを子供に教えてあげなければならない。

大事な生き方を「未来永劫」この地球の子孫に引き継ぐ役目がある。

この宇宙の構成に、絶対に欠かせないほどの大事な存在意義・力・愛を、全ての人が持っていること、

それに気づき、それを「体現」し生きること。

Veena Room/Academyでは、その為の、気づき、ワーク、ケアが出来る場所であれるように、

そして、みなが生きる希望を持ち、生きる喜びの中、共生する世界へと向かい

人々が、そのように生きることで、様々なダルマが成されていくのだと信じております。

Veena Roomの考えていること②に続く